受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

さっぴーの社会科見学へ行こう!

さっぴーの社会科見学へ行こう!

第186回 URまちとくらしのミュージアム

 「UR」の略称で知られる「都市再生機構」の前身は「日本住宅公団」。国の行政活動の一部を担う独立行政法人で、全国各地にたくさんの賃貸住宅を供給しているんだ。東京・赤羽台にある「URまちとくらしのミュージアム」は、そんなURが運営する施設。テーマは「まちとくらし」だよ。昭和時代の団地での暮らしを日用品とともに復元して、当時の空気を今に伝えているんだ。

さっぴーからクイズだよ

 太平洋戦争が終わった1945年ごろ、日本はどのくらい住宅が不足していたと思う? ちなみに当時の人口は7200万人、被災者は970万人といわれているよ。
①120万戸
②280万戸
③420万戸
④650万戸

男の子 「終戦直後の日本は、多くの都市が、一面、焼け野原になったっていうもんね。住める家も相当足りなかったはずだ」
女の子 「そうだね。被災者が1000万人近くいるわけだから、すべてが夫婦2人世帯として、必要な戸数は500万戸。実際は、独り暮らしの家もあるけど、子どもがいる家も多いし、親・子・孫の3世代が同居する家もあるだろうから、答えは②か③だよね」
さっぴー 「おお、すごいね。いろいろと考えているね。内閣府の資料によれば、1947年に不足していた住宅数は420万戸。③が正解だね」
女の子 「それにしても、ものすごい数ね」
さっぴー 「終戦当時、海外から日本に引き揚げてきた人は軍人・民間人を合わせて約660万人もいたから、それも住宅不足に拍車をかけたんだ。参考までに、この420万戸に近い数字を挙げておくと、2023年時点の神奈川県の住宅数が全部で477万戸なんだよ」
男の子 「えっ、神奈川県の全住宅!? それに迫る数が足りなかったのか。とんでもないな」
さっぴー 「そうだろう? そこで1955年に国が設立したのが『日本住宅公団』。これは今のURこと『都市再生機構』の前身でね。まちづくりを考えて宅地開発を行い、団地をはじめ、さまざまな住まいを人々に供給したんだ」
女の子 「ああ、『URであ~る♪』っていうCMを見たことがあるわ。住宅メーカーだと思っていたけど違うのね」
さっぴー 「そういうこと。それじゃ今日はURのミュージアムに行ってみよう。ここは『団地』にスポットを当てた施設でね。戦後直後のものを含め、昭和時代に建てられた団地6戸を再現しているんだ」
男の子 「いいね、タイムスリップ体験ができそう!」
24年12月号 さっぴーの社会科見学へ行こう!:
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