受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

さっぴーの社会科見学へ行こう!

施設見学 埼玉の知られざる歴史を学ぶ 埼玉県立歴史と民俗の博物館 にやってきました!

旧石器時代~古墳時代

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女の子 「ふうん、『れきみん』は大宮公園の一角にあるのね。タイル張りの建物もシックでとってもすてき。中に入ると…、わあ、常設展示室だけで10もあるの⁉ これは期待できそう」

男の子 「最初は原始時代の埼玉を紹介する部屋だね。日本列島に人が住み始めた時期は諸説あるけど、約3万5000年前と考えられている。県内にもそのころの旧石器時代の遺跡がちゃんと残っているんだね」
女の子 「縄文時代や弥生時代の石器や土器もたくさんそろっているよ。そもそも大宮公園内にはこの時代の遺跡があって、展示品の一部はその出土品なのね」
男の子 「おっ、こっちは古墳時代の部屋か。埴輪はもちろん、埼玉県北部の行田市の稲荷山古墳から出土した鉄剣の複製も飾ってある。本物は国宝で、教科書にも載っているよね」

奈良時代~南北朝時代

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男の子 「次は8世紀から14世紀にかけての部屋だ。古代の国家制度・律令制が確立したのは8世紀初め。正式に武蔵国が成立したのもこのころなんだね」

女の子 「やがて武蔵国には武士の集団が現れ、『武蔵武士』と呼ばれるようになった。彼らは源頼朝に味方して鎌倉幕府を支えたのね。ここにはその活躍を描いた絵巻物も展示されているよ」
男の子 「武士は出陣前によく神社や寺に参詣して、刀などを奉納したんだ。これはその奉納刀の一つだね。『れきみん』には国宝の刀も収蔵されていて、期間限定で公開されることもあるんだって」
女の子 「こちらは鎌倉時代の仏像。優しい顔をしている平安時代の仏像とは違って、表情が力強い。いかにも武士が好む感じだね」

石造りの供養塔「板碑」は武士の心

 鎌倉時代から戦国時代にかけて、亡くなった人を弔うために造立した石の卒塔婆を「板碑」というよ。板碑は特に埼玉県内で多く見つかっており、その数は2万7000基以上。高さ5m37cmの日本最大の板碑も長瀞町にあるんだ。当時の武士はこの板碑に、死者を悼む心を込めたんだね。第6室は板碑のスペースなので、じっくり観賞してみよう。

室町時代~戦国時代

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女の子 「ここは乱世の時代の部屋だね。わあ、当時の歩兵・足軽の武具だ! 彼らの多くは農民で、最初は戦のたびに雇われたんだって」
男の子 「戦場を駆け回る足軽が身に着けた胴丸という鎧は、鉄製で4~5kg、革製で3kgか。一方、武将が身に着けた分厚い胴丸は、頑丈で、8~10kgもあったそうだよ。両方を見比べると、実際に戦う人と、それを指示する人の地位と役割の違いがわかっておもしろいね」
女の子 「武蔵国にかかわる武将もたくさん紹介されているよ。足利、上杉、北条、武田…。教科書に載っているような名前ばかり! 彼らはこの地を舞台に、激しい勢力争いを繰り広げたのね」
男の子 「こっちの絵図は、職人さんの仕事ぶりを描いたものだね。農作業など別の仕事の合間ではなく、工房を構えて、物づくりに専念する職人がこのころから増えていったんだ」
25年12月号 さっぴーの社会科見学へ行こう!:
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