さっぴーの社会科見学へ行こう!
移住者たちは何を持って行った?

荷物は最小限が原則だけど、趣味の道具を持参する人もいた。空手着を手にブラジルへ渡った町田嘉三さんは、しばらくは移住地の測量・区画整理などの仕事をやっていたんだけど、空手を広めようと、現地で空手の道場を開いたんだ。フロアにはクイズ形式の展示もあり、「誰がどんな荷物を持って、どこへ移住したのか」を学べるよ。
当時の人々のなりわい

初期の移住者は主に農業に従事していたよ。ブラジルではコーヒー・綿花・コショウ・野菜・果物などを栽培し、その勤勉さから「ジャポネス・ガランチード(信頼できる日本人)」と呼ばれたんだ。その後、時代が進むと、職業は多様化し、サービス業や製造業、歯医者や薬剤師などの専門職を営む人も増えたんだよ。
移住者の家庭


移住者は日本の伝統を守りつつ、現地の暮らしも取り入れていったよ。ハワイの「ミックスプレート」は、おにぎりやチキンソテー、キムチなどの盛り合わせ。これは、他国出身者と弁当のおかずを交換したことから生まれたんだって。また、異国で互いに助け合う「日本人会」を組織し、運動会や餅つきも行ったんだ。
現地の食材で
スキヤキもアレンジ
移住先では和の食材が手に入らないこともしばしば。そのため、代用品を使ったアレンジメニューも生まれたんだ。アメリカなどで食べられていた「日系二世風スキヤキ」には、乾燥タマネギやタケノコ、さらにはセロリやピーマンまで入っているよ。
日系人・日系社会の変遷をたどる/
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「最後は『移住者を取り巻く環境の変化』のゾーンだね。日本人が海外に移り住むようになって140年。今では移住者とその子孫が約500万人もいるのか」 | |
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「見て、これはハワイの日系人ファミリーの写真だよ。2002年に撮られたもので、1891年に山口県から移住した夫婦の子孫なんだって。最初に移住した人のお孫さんから、そのひ孫まで写っているけど、今はもっと家族が増えているんだ」 | |
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「日系人の活躍も紹介しているよ。アメリカンフットボールのトップ・プレイヤーだったスコット・フジタさんは、日系三世の養父と白人の養母に育てられたのか。これぞ多様性だね」 | |
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「日系人へのインタビュー映像も見られるよ。第二次世界大戦中、アメリカやカナダでは、差別や偏見に苦しんだ人もいたんだね。こういうことは絶対になくさないといけないよね」 |
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