受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

さっぴーの社会科見学へ行こう!

施設見学 日本人の海外での暮らしを学ぶ  JICA横浜 海外移住資料館 にやってきました!

海外移住の歴史

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男の子 「資料館はJICA横浜の2階なんだね。最初のゾーンは海外移住の歴史か。おっ、都道府県別の移住者数を表した立体地図だって。本当に広島県が際立っているなあ」

女の子 「えっ、1885年のハワイ移住は日布(ハワイ)両政府の協約で行われたの? サトウキビ農園で働く人を日本で募集し、それに応じるかたちで渡ったんだね。昔はこういう移住の仕組みがあったんだ」
男の子 「住み込みで、家事を手伝いながら、そこで学ぶ学生を『書生』と呼んだのか。明治時代はそれを海外でやる人がいたんだね。ここでは彼らの勉強机を再現しているぞ」
女の子 「見て! 大きな切り株。これは1925年に移住が始まったブラジル・アリアンサ移住地の展示だよ。自分で農園をつくるために、人々は手作業で森を切り拓いていったんだ」

われら新世界に参加す

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女の子 「次は移住者の暮らしの紹介だよ。これは日本から持ち込んだ荷物だね。辞書や薬のほか、マージャンなどゲームもあるよ」
男の子 「1890年代に入ると、横浜などの港町には『移民宿』ができたんだって。宿では不慣れな移住希望者に代わって船の切符を買ったり、渡航の手続きを手伝ったりしていたそうだ」
女の子 「そして無事に移住地に着いたら、ほとんどの場合、まずは農業に取り組んだのね。当時の農具や、栽培していた作物の模型も展示してあるよ」
男の子 「こっちは移住者の家庭を紹介したコーナーだ。わあ、現地で食べていた料理のサンプルもあるよ。のり巻きやいなりずしは、移住者たちの集まりなどでも振る舞われたんだね」
さっぴー

大迫力の開拓シアター

 かつて、多くの日本人がブラジルなど南米の国々に移り住んだんだ。館内の大型スクリーンでは、パラグアイのイグアス移住地に関するショートムービーを上映しているよ。この映像は、1956年に横浜港から現地へ渡った当時10歳の移住者の体験に基づいたもの。人々が大地を切り拓き、町を築いていく様子をわかりやすく紹介しているんだ。

25年10月号 さっぴーの社会科見学へ行こう!:
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