受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

和田先生が語る灘校の真価

Vol.12

週5日制を導入した2002年
灘校らしい学びがさらに進化

 灘校に「週5日制」が初めて導入されたのは2002年のこと。このとき、高校校舎の新築、中学での45人制クラスの導入、今では灘校の名物になっている課外講座「土曜講座」のスタートなど、現在の「灘校らしさ」につながる新しい試みが始まりました。当時、教務主任として改革を進めた前校長の和田孫博先生は、こうした新しい取り組みがスタートした経緯を振り返り、すべてに「精力善用」「自他共栄」という灘校の校是が息づいていると語ります。

文責=和田 孫博

週5日制の導入を機に
より良い学びのかたちを模索する

和田 孫博

わだ まごひろ
灘中学校・灘高等学校前校長。兵庫県私立中学高等学校連合会理事長。1952年生まれ。京都大学文学部文学科(英語英文学専攻)卒業後、1976年に母校の灘中学校・灘高等学校の英語科教諭に。2007年4月から2022年3月まで同校校長を務める。著書に『未来への授業』(新星出版社)、共著に『「開成×灘式」思春期男子を伸ばすコツ』(中公新書ラクレ)などがある。

 阪神・淡路大震災という大災害に見舞われた1995年に続いて、灘校の歴史におけるターニングポイントといえる年が2002年です。この年、現在の灘校の在り方につながるさまざまな新しい試みがスタートしているからです。

 一つは「週5日制」です。公立学校では、すでに1995年から隔週で土曜を休みにするというかたちで、部分的な実施が始まっていましたが、灘校では従来どおりの週6日制を続けていました。私学なので、必ずしも導入する必要はなかったこともありますが、土曜日だけが隔週で休みになってしまうと、科目ごとの授業数の調整が難しくなり、全体の学習進度に問題が出かねなかったからです。

 しかし、文部科学省からは「できれば足並みをそろえてほしい」という要望を受けていました。そこで、土曜を完全に休日とする「完全週休2日制」が公立学校に導入された際には、灘校にも導入していこうという方針は立てていました。

 公立学校への導入がいよいよ2002年からに決まり、灘校でも移行に向けての準備が始まりました。わたしは教務主任として、一連の研究や検討を担当しました。

 それまでは平日は6時間授業、土曜日は4時間授業だったので、週34時間です。これを単純に週5日制にすると、週30時間で授業をやりくりしなくてはなりません。そこで、まず決まったのは「文理選択の前倒し」です。文系・理系を選択するタイミングを高3から高2に早めて、履修科目を減らそうという狙いです。すでに進路を心に決めている生徒にとっては、受験に関係のない科目には身が入りにくいという弊害はかねてから指摘されていたので、ちょうどいい機会になりました。

 このほかにも、授業数の多い科目を調整するなどの工夫はしましたが、それでも週30時間に収めるのは困難でした。そこで、週2日は7時間目までの日を設け、授業数を「週32時間」にするということで落ち着きました。

各界で活躍するOBの力を借りて
熱気あふれる「土曜講座」がスタート

 このとき、設備面では新しい校舎を1棟新築しています。現在の高校棟(2号館)です。

 それまでは、現在の中学棟(1号館)に6学年すべてのホームルームがあったのですが、当時は中学も高校も1クラス55人の大所帯でした。戦前に建てられた校舎は、教室一つひとつが小さいため、机間巡視も満足にできないほどすし詰め状態でした。年々生徒たちの体格が良くなってきていることもあり、そろそろ限界に達していたのです。

 震災前から、校舎全体を改修しようという計画はありましたが、震災後は被災した設備の改修費用がかさんだので、すぐに大規模な工事はできません。そこで、全面改築は無理としても、「1クラス55人が余裕を持って入れる広い教室を備えた校舎をひとまず新築し、高校生のホームルームを新校舎に移そう」ということになったのです。これを機に、中学生のクラスは現在のような45人×4クラス体制に改めました。

 今では灘校の名物になっている「土曜講座」のスタートも2002年です。授業が平日5日間に集約されたことで、土曜日が空いたため、ぜひ生徒のためになる活動をやろうという発想で始まったものです。

 灘校には、さまざまな分野の第一線で活躍するすばらしいOBがたくさんいます。多くの生徒たちがめざす医師や弁護士はもちろん、科学者、官僚、さまざまな事業に取り組むビジネスパーソン、芸術家…。こうした先輩方が手弁当で講義やワークショップを開催してくれるのです。

 土曜講座は、生徒たちにいろいろな世界に触れてもらうことを目的としたものですが、ジャンルは極めて多彩で、内容のレベルも非常に高いです。おまけに、生徒自身が興味のあるテーマを自由に選択できるとあって、いわゆる「キャリア教育」の枠には収まりきらない深い学びの場になりました。ふだんの授業は、いくら好きな科目でも「義務」という側面がありますが、土曜講座は、自分の好きなことを、その道の一流の人から直接学べるとあって、生徒たちの目の輝きも違います。

 刺激を受けたのは生徒たちだけではありません。始まった当初は裏方に徹していた教員たちからも「講座をやりたい」という声が相次いだのです。生徒たちが前のめりになって学ぶ姿を目の当たりにして、いてもたってもいられなくなったのですね。今では現役の教員が、個人的な趣味や特技を生かし、工夫を凝らして開くユニークな講座もずいぶん増えました。

自分の興味を追求し、成長すれば
社会がもっと良くなっていく

灘校の名物ともいえる土曜講座。写真の「田植え・稲刈り体験講座」では、里山の田んぼで、昔ながらの手植えを体験します

 週5日制になったことで、授業時間そのものは減りました。しかし、だからといって学ぶ姿勢が後退したわけではなく、学びの可能性がより広がっていったのです。2002年は、「生徒の自主性を涵養する」という灘校らしさが、より発展した年のように思います。

 その時々に、自分がやりたいと思ったことにチャレンジしながら幅広い好奇心を育てていくと、やがて「自分が本当にやりたかったこと」が見つかります。その方向に進んでいくと、自分が成長するばかりでなく、周囲の人々をも巻き込んだ好循環につながっていくのです。

 自主・自律の校風のなかで、自分の個性を磨き、やりたいことを追求していく。それが結果的に周囲に好影響を及ぼし、共に幸せになっていく──。これは、校是に掲げた「精力善用」「自他共栄」の精神そのものです。

 今、世界を見渡せば、「自他共栄」とはかけ離れた分断や争いも目につきます。灘校で学んだ一人ひとりが、学校のなかだけでなく、社会に、世界に、ぜひこの精神を伝えていってほしいと心から願っています。今から100年以上も前の1922(大正11)年に、嘉納治五郎先生は「精力善用」「自他共栄」を提唱しています。そういう考え方を持つ人の思いから生まれた学校であることを、これからもけっして忘れてはいけません。

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