和田先生が語る灘校の真価
Vol.7
6年間を通して学びを深め、
生徒も教師も成長する担任団制度
「精力善用」「自他共栄」という校是を掲げ、各界で活躍する人材を輩出し続けている灘中学校・灘高等学校。その教育の根幹を支えるのが「担任持ち上がり制」です。さまざまな教科を担当する教員がチームを組み、一つの学年を中1から高3まで6年間一貫して指導するシステムのため、生徒は長期的な視野で学びを深めていけるのです。この制度の特色について、同校のOBであり、2022年春まで長きにわたって校長を務められた和田孫博先生に語っていただきました。
文責=和田 孫博
国語・数学・英語は
6年間ずっと同じ教員が授業を担当
和田 孫博
わだ まごひろ
●灘中学校・灘高等学校前校長。兵庫県私立中学高等学校連合会副理事長。1952年生まれ。京都大学文学部文学科(英語英文学専攻)卒業後、1976年に母校の灘中学校・灘高等学校の英語科教諭に。2007年4月から2022年3月まで同校校長を務める。著書に『未来への授業』(新星出版社)、共著に『「開成×灘式」思春期男子を伸ばすコツ』(中公新書ラクレ)などがある。
灘校の教育の大きな特色の一つが、一つの学年を教える担任団が6年間持ち上がる「担任持ち上がり制」です。担任団は原則として8人の教員から成り、チームとしてその学年が中1から高3までの6年間、ずっと生徒たちを見守っていく仕組みです。
初等教育がようやく終わった中1から、大学という高等教育の入り口へ。この6年間を、連続的に学びを深めていく一連のプロセスだととらえれば、確かに同じ先生が責任を持って一貫して指導するのは合理的です。
特に、国語・数学・英語については、その学年のほぼすべての授業を担任団に属する教員が担います。この3教科は、1週間の時間割のなかでも特に授業数が多いこともあり、複数の教員が分担するより、1人の教員が進度を管理しながら教えたほうが、重複もなくスムーズなのです。
担任団制度がいつから始まったかははっきりしていませんが、おそらく戦前にはすでにその原型ができていたのではないでしょうか。少なくともわたしが灘中に入学した1965(昭和40)年には、国・数・英の3教科の先生が6年間持ち上がるかたちになっていました。
当時の担任団は6人でしたが、その後、教員1人にかかる負担を減らそうという意図もあったのか、徐々に人数が増え、現在は原則として8人という体制に落ち着いています。
進級時の引き継ぎが不要になり
密度の濃い授業で学びが深められる
1年間ごとの細切れでなく、6年間という長い時間軸で計画を立てられる担任団制度は、「速さ」と「深さ」の両面で、教科学習に大きなメリットをもたらします。
理由の一つは、教員間での引き継ぎが不要になることです。もし、1年ごとに担当教員が代わるとなると、学年が切り替わるタイミングで、それまでの先生から次の先生への引き継ぎが必須になります。しかし、どれだけていねいに引き継いでも、細部まで共有することはできません。
わたしが担当していた英語の場合なら、どの学年のどの時期に、どんな英文を扱い、どんな単語を取り上げ、どこまで詳しく掘り下げたかといった細かいところまで引き継ぐのは現実的に不可能です。すると、重複やタイムロスは避けられないのです。
また、次の先生に引き継ぐためには、中途半端なところで3学期を終えるわけにはいきません。進みの遅い学年なら、単元の終わりまできちんと済ませるために、最後にばたばたと帳尻を合わせることになります。逆に、速く進んでいた場合なら、最後は無駄な足踏みを余儀なくされます。
持ち上がり制なら、春休みが明けた後、前年度の続きから始めればいいだけですから、単元の区切りをそれほど意識する必要はありません。「生徒がきちんと理解できているかどうか」という本質を最優先して授業を進めることができるわけです。
効率よく授業が進められるので、多彩な副教材の「投げ込み」も可能です。もちろん、基本となるのは教科書ですが、副教材の選択や組み合わせはすべて担当教員の裁量に任せられているので、その学年の生徒たちに最も適した教材を、最も適したタイミングで使うことができるのです。
だんだん市販の教材ではもの足りなくなってきて、プリントを自作するだけでなく、それらを編集した参考書のようなものまで作ってしまう教員も少なくありません。あまりに無謀な計画を立ててしまうと生徒たちがついてこられなくなりますから、その都度、様子や反応を見ながら調整していきます。わたしも、小説や英字新聞など、いろいろな英文を副教材として活用しました。
真剣勝負で授業に臨むため、
教員側にも覚悟と意欲が求められる
このように、灘校らしい教育を支える「屋台骨」ともいえる担任団制度ですが、担当する教員側には、それなりの覚悟が求められます。中学で学ぶ基礎の基礎から、大学受験にも対応できる高度なレベルまでの広い範囲をカバーし、何でも教えられる力量が必要になるからです。
高校生に難問の解き方を教えるのは得意でも、中学生に基本をかみ砕いて教えるのは苦手だとか、中学生には教えられるけど高校生には教えられないなどと言っていては、灘校の教員は務まりません。
わたし自身、大学を卒業したばかりの教員1年生で、いきなり中1の担任団に入りましたが、このときに感じた大きなプレッシャーは今でも忘れられません。学年が進んで内容が高度になっていくにつれ、自分の未熟さが生徒たちに見透かされているような気がして、一時は教壇に立つことに恐怖を感じたほどです。
わたしの場合、幸運だったのは、自分自身が灘校で6年間学んだ経験があったことと、恩師がまだ在籍してくれていたことです。おかげで、困ったときに相談に乗ってもらったり、許可を得て恩師の手製の構文集を再構成して副教材として使わせてもらったり、いろいろと助けていただきました。
6年間責任を持ってカリキュラムを構築していかなくてはならないということで、毎回の授業の準備にも相当の時間と情熱をかけて臨まなくてはいけません。ただし、持ち上がり制のおかげで、決まった学年しか担当しなくて済むので、一つ準備をすれば、学年の全クラスの授業に使えるのは効率的でした。そのおかげで、毎回準備に全力投球でき、深いところまで教える余裕が生まれたのです。
近年では、公立小・中学校でも少人数学級化が進められるなど、教育を取り巻く環境が変化しています。いつまでこのスタイルを守っていけるか心配な部分もありますが、わたし自身は、灘校が長い歴史のなかで躍進してきた秘訣は、この「担任持ち上がり制」にこそあるのではないかと思っています。
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