受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

挑戦するキミへ

Vol.29

文系・理系を区別するのは何のため?
今、求められる「文理融合」の視点とは

 文系か理系か―。この選択は、日本において進学や就職の方向性を決める大きな分かれ道になります。しかし、当然ながら学問も仕事も、文系か理系かにきれいに二分できるものではありません。柳沢先生は「近年の日本がさまざまな分野で世界に後れを取っているのは、『文理分断』の弊害が大きくなりすぎたから」だと見ています。文系・理系に分けて育てる日本の教育の問題点と、近年注目されている「文理融合」の学びについて考えます。

文責=柳沢 幸雄

文系と理系の過度な分断が
日本の国力低下の原因に

柳沢 幸雄

やなぎさわ ゆきお●北鎌倉女子学園学園長。東京大学名誉教授。1947年生まれ。東京大学大学院工学系研究科化学工学専攻博士課程修了。ハーバード大学大学院准教授・併任教授などを経て、2011年4月から2020年3月まで開成中学校・高等学校校長を務める。2020年4月から現職。

 一般的に、「文系」とは人文社会学系の学問、「理系」とは自然科学・理工医学系の学問を指すことばで、日本では大学でどちらの系統を専攻したいかによって、高校の履修科目から将来の職業の方向性までがある程度固まります。東京大学のように、入学後2年間はどの学部・学科にも属さない「教養課程」を設けている大学もありますが、たいていの場合は文系か理系かに決めたら、そこからルート変更することは簡単ではなく、高校時代の選択がその後の人生を決めてしまうわけです。

 日本がこのように文系・理系に分けて教育を行うようになったのは、現場で活躍する「スペシャリスト」としての理系人材と、それを統括する「ジェネラリスト」としての文系人材を集中的に育成するためでした。しかし、それが常態化した結果、何が起きたのか。それは、文系と理系の分断です。「自分は文系(理系)だから、この仕事は管轄外である」という意識がはたらき、本質的な業務改善が後回しになってしまったり、会社経営における重要な決定権を持つ人材が文系に偏ったことで、技術の価値をうまく世界に発信できなかったりと、そのデメリットが徐々に顕在化していきました。このような文系・理系の分断が、日本の国力低下につながったといっても過言ではありません。本来は、学問も仕事も文理が一緒になって取り組むべきものです。これからは、文理の枠を超えて、「課題解決のためには何が必要か」を俯瞰(ふかん)でとらえる力が求められているのです。

各大学に見られる文理融合の動き
フラットに学問をとらえる力を重視

 そうした社会の要請を反映してか、東京大学が2027年秋に文理融合型の新しい教育課程「カレッジ・オブ・デザイン」を創設すると発表しました。学部と大学院修士課程を合わせた5年制で、世界水準の高度な研究や、地球規模の課題解決に取り組む人材の育成をめざします。近年、こうした文理融合型の学部創設の動きが見られるようになり、たとえば一橋大学は、2023年度から社会科学とデータサイエンスを融合した「ソーシャル・データサイエンス学部・研究科」を新設しました。このことからも、多くの大学が文理の概念にとらわれず、フラットに学問に取り組もうとする学生を求めていることがわかります。

 さて、わたしが考える日本の教育の問題点は、学生に汎用(はんよう)性を求めるのか、専門性を求めるのかがきちんと定まっていないことです。大学入学共通テストでは6教科を課して汎用性を求め、大学入学後はすぐに専攻を決めて専門性を求める。そして、日本では、スキル別に人材を採用する「ジョブ型雇用」ではなく、採用後に部署を振り分ける「メンバーシップ型雇用」が主流であるため、採用試験では専門性よりも汎用性が重視される―。いわば日本の学生は、毎回、階級の異なる大会に出場させられ、減量と増量を繰り返すアスリートのようなものなのです。それでは、一貫したビジョンを持って戦うことはできません。学問を体系的に理解していない時期に文系か理系かを選択させることで、早くから特定の科目に苦手意識を持ってしまっているのも、日本の若者が長期的なキャリアパスを描けない原因の一つになっていると感じます。

「どこなら受かるか」ではなく
「何を学びたいか」を優先してほしい

 では、海外ではどういうプロセスが取られているのでしょうか。たとえばアメリカでは、大学進学を希望する高校生は、日本の共通テストに相当するSAT(Scholastic Assessment Test)を受験します。そこで課されるのは英語と数学のみ。あとはエッセイや高校での成績、活動履歴、推薦状などから総合的に判断されます。大学入学後は、学部は「教養課程」、大学院は「専門課程」という位置づけになっており、時間をかけて自分の専門を絞っていきます。そして、最終的に採用試験は「ジョブ型雇用」ですから、選んだ学問が自然に職業につながっていく仕組みです。

 こうして比較すると、日本は専攻を決めるまでに時間がないことや、専攻する学問の延長線上にキャリアを描きづらいことから、大学受験の目的が「何を学びたいか」よりも「どの大学(学部)なら受かるか」「文理のどちらを選べば点数につながるか」にフォーカスされている印象を受けます。文理の垣根を取り払おうとする近年の動きが、「学びたい学問があるから大学受験をする」という受験生の本来の動機を取り戻す一助となることを期待するとともに、それを前提として、将来のキャリアが見通せる一貫性のある教育(採用)システムを確立することや、ペーパーテストだけでない多様な人物評価を大学入試に取り入れることが、今後、世界に肩を並べて活躍する人材を育てていくうえで最も必要なことだと思います。

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