受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

挑戦するキミへ

Vol.25

生成AIとの「共生」で期待される
個別最適化学習と大学入試改革

 OpenAI社が生成AI「ChatGPT」をリリースして約1年半がたちました。その間、教育現場での活用の是非が盛んに議論されてきましたが、柳沢先生は「積極的に取り入れて、共生していくことが大事」と言います。生成AIとうまく付き合うにはどのような意識が必要なのでしょうか。そして、生成AIの台頭は、日本の教育にどのような影響をもたらすのでしょうか。日々進化するAI技術を活用し、よりよい未来を切り開く方法について柳沢先生が語ります。

文責=柳沢 幸雄

教育現場における生成AI
条件を決めて最大限に活用を

柳沢 幸雄

やなぎさわ ゆきお●北鎌倉女子学園学園長。東京大学名誉教授。1947年生まれ。東京大学大学院工学系研究科化学工学専攻博士課程修了。ハーバード大学大学院准教授・併任教授などを経て、2011年4月から2020年3月まで開成中学校・高等学校校長を務める。2020年4月から現職。

 2022年にChatGPTが発表されてからというもの、生成AIを子どもが使うことについて、さまざまな議論が交わされています。確かに、宿題に生成AIが出した解答を丸写ししたり、情報の真偽を確かめずにうのみにしたりすることは問題ですが、それはリテラシーを正しく身につけることで解決できます。もっとも、人からの伝聞や紙媒体の記事にも“フェイク”が含まれている可能性は十分にあるわけで、「この情報が真実かどうか」という視点は、AIに限らず常に意識しなければなりません。社会の論調は、「今後、AIをどう活用していくべきか」という方向に進んでいるわけですから、子どもにとっても「共生」の道を考えさせることが重要といえるでしょう。

 教育現場においても、どんどん活用すべきだとわたしは思っています。レポートに役立てるのも大いに結構。ただし、「すべての事実に関して自分で確認しなさい」という条件付きです。レポートを読んだ教員に「あなたの論述は事実と異なりますよ」と指摘された場合、「こういう考証があるので、わたしはこれを事実だと判断しました」と反論できれば、大きな問題はありません。大切なのは何事も自分の頭で考えること。AIの出した答えは、「数ある情報ソースのうちの一つに過ぎないのだ」と理解していれば、そこまで恐れる必要はないのです。

AIの特性を生かした教育で
一人ひとりの力を伸ばす

 現在、わたしが学園長を務めている北鎌倉女子学園でも、生徒たちには1人1台のタブレット端末を持たせ、ICTを活用した教育を展開しています。その代表的なものの一つが、独自のアプリケーション「Kitakama Learning Site」の導入で、生徒がいつでも教材にアクセスできるようにしています。欠席した日の授業内容はもちろん、前の学年で習った単元から、次の学年で習う単元まで、すべて1か所に集約されているので、自分のレベルやペースに合わせて自主学習を進められます。

 今後、AIを活用した適応学習(アダプティブラーニング)に進んでいくでしょう。その生徒が解いた問題の正誤をAIが学習し、その子の得意分野と苦手分野を予測して、得意科目ではさらなる発展問題を、苦手科目では基礎に立ち返る基本問題を自動的に出題してくれるというしくみです。

 このように、デジタルやAIの力を借りることによって、従来の一律一斉授業ではできなかった、“落ちこぼれ”や“浮きこぼれ”と呼ばれる、クラスのボリュームゾーンから外れる生徒たちのケアが可能となりました。これは一人ひとりの力を伸ばすという点で、非常に画期的な進歩なのです。

 しかしながら、AIが重用されればされるほど、価値が下がっていくものがあります。それが「ゼネラリスト」です。「ゼネラリスト」とは、全教科がまんべんなくできて、それらに通暁している人のこと。つまり、今まで日本が育成に力を入れてきた人材です。人間がいくら勉強したところで、膨大な知識を網羅し、質問の入力から数秒とかからず答えを導き出すAIの能力には遠く及びません。これからの時代は、AIに代替できないような、抜きんでた才能を持つ「スペシャリスト」の価値がますます高まっていくことでしょう。

「現代版“遣唐使”制度」で
日本の産業はもっと活性化する

 社会が求める人材が変われば、それに合わせて教育の形も変わらなければなりません。その最たるものが大学受験です。そもそもこれまでの日本の大学入試には、大きな矛盾がありました。5(6)教科7科目を課して「ゼネラリスト」の適性を測るのに対し、出願時には志望学部、つまり自分が何の「スペシャリスト」になりたいかを決めなければならないからです。これでは「ゼネラリスト」としても「スペシャリスト」としても中途半端に終わってしまいます。今後は、入試科目を絞って、受験生の得意科目で勝負しやすくしたり、大学入学から自分の専門分野を決めるまでに猶予期間を与えたりと、柔軟かつ大胆な変革が必要になると思います。

 日本の大学入試改革にも期待したいところですが、「スペシャリスト」の育成にたけている海外の大学で学ぶというのも一つの手です。たとえば、アメリカのハーバード大学には、「文理学部」の一つしかありません。学生は前半の2年間で専攻を決め、後半の2年で専門分野を学びます。大学院ではさらに専門分野を深めます。

 しかし、アメリカの大学は学費が非常に高額であるため、一般家庭ではなかなか留学に踏み切れないのも事実。そこでわたしが期待しているのは、国の留学支援の充実です。たとえば、「学生1人につき、毎年350万円の奨学金を4年間給付しましょう」という「現代版“遣唐使”制度」が実現できれば、仮に1000人を対象にするとしても、国の予算規模からしても無理のない金額で、大きなリターンが見込めると思っています。制度を利用した学生のうち、全員が日本に戻ってくる保証はないかもしれません。しかし、将来7割の若者が戻ってきてくれたら、日本の産業はもっと活性化するはずです。若者はこの国の宝です。利益が約束された意義のある投資だと考え、大学受験改革とあわせて、国には大胆なかじ取りを期待したいところです。

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