受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

子育てインタビュー

発達障害・ギフテッドってなに?

誰にだって得意・不得意はある
正しい知識を身につけ、みんなで支援を

赤平 大さんAkahira Masaru

(あかひら まさる)2001年テレビ東京入社。2009年に独立し、フリーアナウンサー・ナレーターとして、さまざまな番組で活躍中。2015年から工藤勇一校長(当時)の下、千代田区立麹町中学校で学校改革をサポート。2017年早稲田大学ビジネススクール(MBA)卒業。2021年6月に株式会社voice and peaceを設立。代表取締役として、発達障害やギフテッド支援のための情報を動画で配信。2022年から工藤勇一氏が校長を務める横浜創英中学・高等学校でサイエンスコース講師を担当。発達障害学習支援シニアサポーターなどの資格を持ち、企業マネジメント研修講師、発達障害学習支援なども行っている。

 近年、発達障害やギフテッドということばが広く知られるようになり、「わが子もそうなのでは?」と不安を抱く保護者も少なくないようです。今回は、アナウンサーとして活躍するとともに、発達障害やギフテッドに関する情報を発信されている赤平大さんに、SAPIX YOZEMI GROUPの髙宮共同代表がインタビュー。発達障害やギフテッドとされる子どもたちへの向き合い方、支援の方法などについて伺いました。

アナウンサーのスキルを活かし
発達障害に関する情報を発信

髙宮 赤平さんは、発達障害やギフテッドの支援のための動画メディア「incluvox(インクルボックス)」を展開していらっしゃいます。どのようなサービスなのですか。

赤平 発達障害やギフテッドに関する知識や具体的な支援方法を動画で紹介しています。対象としているのは、発達障害やギフテッドといった特性のある子どもを持つ保護者の方や、そうした子どもを支援している教育者、そして当事者の雇用に関わる企業の方などです。

髙宮 赤平さんはテレビ東京のアナウンサーでいらっしゃいました。その後、30歳で独立してフリーランスに。そしてインクルボックスを立ち上げられたのですが、そこに至るまでに、どういった経緯があったのでしょうか。

赤平 テレビ東京にアナウンサーとして採用され、入社した際、局アナとしての目標を三つ決めていました。一つが、自分の冠番組を持つことです。これは、26歳から平日夕方のニュース番組でメインキャスターを務めたことで達成しました。もう一つは、オリンピックに行って現場から声を届けること。これは、北京オリンピックで実現しました。最後の一つは、「歴史に残る番組に携わる」という目標で、これは深夜番組だった『やりすぎコージー』のナレーションを担当し、番組が好評を博してゴールデンタイムに進出することでかないました。

 どれも局アナとしては最高の仕事で、達成した後は管理職をめざすのみとなってしまいました。私としては管理職よりも、スキルで勝負する技術職として仕事を続けていきたかったので、30歳で独立したのです。

髙宮 独立した時点で、発達障害やギフテッドについて関心をお持ちだったのですか。

赤平 目を向け始めたのは、独立後に誕生した息子が、発達障害と高IQであることを知ってからです。わが子をどうサポートしたらよいのか悩んで、発達障害やギフテッドに関する論文を500本以上読み、複数の民間資格を取得し、ほかの発達障害の子どもたちの支援もしました。そうしたなかで気づいたのは、発達障害を取り巻く社会的な環境を変えることの重要性です。その動きを促すために、自分にできることは何かを考えました。そして、テレビの世界で培った経験を生かし、多様な個性を「やさしく・やわらかく」受け入れられる人を増やすために、動画による情報提供を開始したのです。

みずからの子育てを通じて
「知る」ことの重要性に気づく

髙宮 敏郎Takamiya Toshiro

(たかみや としろう)サピックス・代ゼミグループ 共同代表(代々木ゼミナール 副理事長)。1997年慶應義塾大学経済学部卒業後、三菱信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)入社。2000年、学校法人髙宮学園代々木ゼミナールに入職。同年9月から米国ペンシルベニア大学に留学して大学経営学を学び、博士(教育学)を取得。2004年12月に帰国後、同学園の財務統括責任者を務め、2009年より現職。SAPIX小学部、SAPIX中学部、Y-SAPIXなどを運営する日本入試センター代表取締役副社長などを兼務。

髙宮 発達障害については、一般的に3歳児健診で判明することが多いと聞いていますが、いつごろ息子さんの特性に気づかれたのですか。

赤平 最初に気づいたのは、保育園の保育士さんです。「息子さんは大人と同じぐらいことばがわかってコミュニケーションもとれますが、特別に何か勉強をさせているのですか」と聞かれ、「何もしていません」と答えたら、「何かあるかもしれないので、一度、病院で受診したほうがいいかもしれません」とアドバイスされました。保育園ではたくさんの子どもに接していますから、ふだんの行動を見ていて、大多数の子とは何かが違うことがわかったのでしょうね。検査を受けた結果、ADHD(注意欠如・多動症)などの発達障害があり、また高IQであることもわかりました。

 ただ、ADHDという診断が出ても、当時はまったく知識がありませんでした。そのため、「落ち着きがなかったり、思ったことをすぐ実行したりするということか。それなら普通の子どもと同じだな」と解釈して、特に接し方やしつけの方針を変えることはしませんでした。

髙宮 普通の子どもと同じように接すればいいという認識が変わったのは、いつですか。

赤平 小学校に入学してからですね。まず、入学前に区から通達があり、普通クラスでの学びと併せて、週に2日は別室で通級指導を受けるようにと、指示されました。実際に学校生活が始まると、集団生活に適応できていないことが顕著になっていきました。

 そうしたなか、一冊の本との出合いがありました。発達障害がどのようなもので、どのような対応が必要なのかを説明した、ごく基本的な内容の本でしたが、「アハ体験※」とでもいうのでしょうか、それを読んで、なぜこの子はこんな行動を起こすのか、その理由が瞬間的に理解でき、視界がぱっと開けました。それを機に、発達障害やギフテッドに関する書籍や論文を読みあさるようになったのです。そして、発達障害の知識がないまま行ってきた自分の子育てが、いかに間違っていたかということを思い知らされました。その子の特性も知らずに、「なぜできないのか」「もっとがんばれ」と叱りつけるのは、目の悪い人に眼鏡も掛けさせず、「がんばれば見える、もっとがんばれ」と言い続けるのと同じく、本人にとってはとても酷なことだったのですね。

※「アハ体験」とは心理学の概念で、未知の物事を瞬間的に理解すること。

23年7月号 子育てインタビュー:
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