受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

さぴあ仕事カタログ

「管理栄養士」 ってどんな 仕事をするんですか?

◎回答者
ビストロさいとう オーナーシェフ
齋藤 美三男さん

 前のページでは、シェフの仕事やなる方法などについて紹介しました。ここでは調理の専門学校を経ずに、働きながら料理の腕を磨いてオーナーシェフになった齋藤美三男さんに登場していただきましょう。シェフとしての日々のお仕事や、なるまでの道のりなどについてお聞きしました。

何もかもしなくてはならないけれど、
自分のやり方で店を運営できる


齋藤美三男さん(左)と妻の加代子さん

 「ビストロさいとう」は、西武池袋線の江古田駅近くにある隠れ家的なお店。オーナーシェフの齋藤美三男さんは、料理の道に入って45年のベテランです。こぢんまりとした12席の店なので従業員は雇わず、ソムリエ(客の要望に応えてワインを選ぶ手助けをする人)の資格を持つ妻の加代子さんとの二人三脚で運営しています。営業はディナータイムのみですが、シェフの仕事は朝7時からの市場での仕入れから始まり、店に戻って下ごしらえ、仕込みと続きます。常連客が多く、その大半が月1回の予約で来店し、お任せで料理を頼むことが多いため、仕入れの内容は日によって異なるそうです。メニューに載せる料理の内容も仕入れによって変わります。

 「常連のお客さまについては、一人ひとりの好みを把握しています。前回の料理と重ならないように気をつけ、喜んでいただける食材を探して提供します。その日に仕入れた食材の調理法などをイメージしながら、頭の中でパズルのように組み合わせたり工夫したりしていると、偶然、新しい料理が誕生することもあります」

 営業時間は18時から22時までの4時間ですが、営業時間より仕込み時間のほうが長く、閉店後も後片づけや掃除、道具の手入れ、翌日の仕込みの準備などと続きます。齋藤シェフは、「休日も店での仕込みは当たり前ですが、自分の責任で店を運営し、お客さまに喜んでいただけることは何よりの喜びです」と話します。

「おいしかった」というお客さまのひと言 
そのために料理をしている

 営業中は多いときで10種類以上ものオーダーが入るので、それを把握しながら、お客さまの食べるペースに合わせて何皿も同時進行で作ります。一品でも手を抜いたらお客さまに伝わってしまうので、集中力が必要です。「お客さまから『おいしかった』と言ってもらえただけでテンションが上がり、喜びを感じるのが料理人」と語る齋藤シェフ。そのために料理を作っているといっても過言ではないそうです。

 そうした忙しい日々であっても、料理のセンスを磨く努力は怠りません。常に食材に興味を持つようにし、料理のトレンドをチェックして、時間のあるときは有名レストランの食べ歩きもします。20代のころにはフランスのパリ、リヨン、ランスの星つきレストランの食べ歩きもしたそうです。

 「おいしいものを作ろうと思ったら、おいしいものを食べなくてはなりません。また、ヨーロッパ、特にフランスの映画を見て歴史や文化に触れると、料理のインスピレーションが降ってくることもあります」

ビストロさいとうはこんなお店

ビストロさいとう 写真 薬膳マイスターと食育インストラクターの資格を持つシェフと、ソムリエと管理栄養士の資格を持つ妻の加代子さんが2人で運営しています。フランス料理の世界では、「レストラン」が比較的格式のある料理店を意味するのに対し、「ビストロ」は伝統的な家庭料理や郷土料理が楽しめるカジュアルな店を意味します。「ビストロさいとう」では、手の込んだ「白レバーのムース」なども、和牛ホホ肉の煮込み 写真一からシェフの手作りです。旬のジビエ(狩猟で得た野生鳥獣の食肉)なども楽しめます。また、月に一度、料理教室とワイン会も開催しています。

ビストロさいとう 写真 和牛ホホ肉の煮込み 写真


所在地東京都練馬区小竹町1-56-2

電 話03-5966-0125(要予約)

営業時間18:00~22:00 ※月・火曜定休

❶❷❸シェフの職人気質が感じられる厨房。その壁には、手入れの行き届いた調理道具が整頓されて並んでいます。盛りつけているのは、前菜の「ホロホロ鳥の詰めもの」。お皿の上に絵を描くように仕上げていきます。前菜の後に提供される、「桃のスープ」も暑い季節の人気メニュー ワイングラスを一点の曇りもなく磨き込むのは、妻でソムリエの加代子さんの仕事です

自分の店を持つ夢をかなえるために、
フランス語の辞書を引きながら原書で独学

 幼いころはお母さんやおばあさんが台所で料理を作る様子を熱心に見ていたという齋藤シェフは、昔から食べ物に対する意識が強かったそうです。裏の畑で採ってきた野菜を自分で切って食べ、中学生になると、兄と妹のためにお弁当を作ってあげるようにもなりました。

 料理人になろうと思ったのは、クラブ活動で料理部に所属していた高校生のとき。「天皇の料理番」とうたわれて、小説で描かれ、テレビドラマにもなった秋山徳蔵氏にあこがれ、進路指導の先生の紹介で上野精養軒に就職しました。そこでは2年間、ホールの仕事からの下積み修行をしましたが、当時、フランス帰りの料理人たちが次々とオープンさせた「ヌーベルキュイジーヌ」という新しいスタイルの料理店に触発されます。「自分も早くフランスで学びたい」と、もっと経験が積める職場を求めて別のレストランに移ります。そうするうちにフランス人の知人ができ、28歳のときにパリのレストランで1年間働く機会を得たのです。

 帰国後は別のレストランのシェフを経て、1998年に「ビストロさいとう」をオープン。自分の店を持つという夢をかなえました。それまでは独立のチャンスがいつ来てもいいように、フランス語やフランス料理の歴史、メニューの書き方、料理の技法、調理法などの本を買い込み、辞書を引きながら独学を続けていました。そして、夢は紙に書いて壁に貼り、いつも見ていたそうです。

 最後に、将来シェフになりたい小学生の皆さんに、こんなメッセージを送ってくれました。

 「肉・魚・野菜などの食材を作っている生産者の方に感謝し、毎日料理を作ってくれる保護者の方に『ありがとう』と言える人は、きっと立派なシェフになれると思います」

「第67回 シェフ」:
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