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元日に最大震度7の揺れ「令和6年能登半島地震」が発生
1月1日午後4時10分、石川県能登地方を震源とする強い地震が発生しました。輪島市・志賀町で最大震度7を、珠洲市・能登町・穴水町・七尾市で震度6強を、中能登町、新潟県長岡市で震度6弱を、それぞれ観測しました。地震の規模を示すマグニチュード(M)は推定7.6で、同地方では記録が残る1885年以降で最大でした。能登地方では2020年12月から、同じ地域で地震が集中して起こる「群発地震」活動が活発化していましたが、気象庁では同日、今回の地震と2020年12月以降の一連の地震活動について、「令和6年能登半島地震」と命名しました。
また、気象庁は能登地方に大津波警報を、日本海沿岸の各地に津波警報・注意報を発令。翌日午前10時にすべて解除するまで、強く避難を呼びかけました。
国土地理院によると輪島市では地盤が最大で4m隆起する地殻変動が確認され、漁港の多くが使えなくなりました。「地盤の液状化」も起こり、金沢市の北西に隣接する内灘町や、新潟市など震源から離れた地域でも、家屋が傾くなどの被害が発生しました。
震源に近い能登半島では全壊した家屋も少なくありませんでした。被災地は過疎化と高齢化が深刻な地域で、1981年5月以前の古い耐震基準で建てられた家屋が多く残っていたことに加え、群発地震で家屋にダメージが蓄積していたことも被害を大きくしました。また、「輪島朝市」が開かれる観光名所だった輪島市河井町では大規模な火災が発生し、約200棟の民家や商店が焼失しました。石川県によると、2月8日現在の死者は240人以上、住宅被害は5万8000棟以上に達しています。
山がちな地域であるため、土砂災害が多発し、至る所で道路が寸断されて多くの集落が孤立したことも目立った特徴といえます。ところが、「半島」という地理的条件が支援を困難にしました。被災地は西・北・東の三方が海で、陸路では南からしか入れません。その限られた道路が通行不能になり、人も物資も迅速に送ることができなかったのです。港も被害を受け、海からの輸送も難しい状態でした。このことは今後の他地域の防災対策にも課題を残しました。
JAXAの探査機「SLIM」が日本初の月面着陸に成功
宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、2023年9月7日に打ち上げた月探査機「SLIM」が、1月20日午前0時20分ごろ(日本時間。以下同じ)、月の赤道の南にある「神酒の海」のSHIOLIクレーター近くの斜面に軟着陸したと、同日未明に発表しました。日本の探査機が月面着陸に成功したのは初めてです。これまでに成功したことがあるのは旧ソ連(現在のロシアなど)、アメリカ、中華人民共和国(中国)、インドの4か国で、日本は5か国目になりました。
軟着陸に成功したことがわかったのは、SLIMから機体の状態を知らせるデータがJAXAの管制室に届いたためです。また、搭載していた超小型ロボット「LEV-1」と「LEV-2(SORA-Q)」が着陸直前に月面に放出されたことも確認されました。SORA-Qからは着陸したSLIMの写真も送られてきました。
SLIM本体は側面に取り付けられた太陽電池パネルで発電して活動します。ところが、着陸当初は発電ができていなかったため、代わりに内蔵のバッテリーで短時間だけ活動して休眠しました。その後、太陽電池が発電できなかった原因は、パネルが太陽とは反対方向の西を向いた状態で着陸してしまったためだとわかりました。月では昼と夜が約2週間ずつ続きますが、それでも太陽の方向は少しずつ変わっていきます。1月29日にはパネルに太陽光が当たるようになり、太陽電池が復活したため、SLIMの運用が再開されました。着陸地点が日没になった2月1日以降は再び休眠状態になりました。
さて、今回のミッションの最大の狙いは月面への「ピンポイント着陸(降りたい場所に降りること)」でした。これまでの探査機は着陸目標地点と実際の着陸地点とが数㎞〜数十㎞もずれるのが普通でした。SLIMはその精度を高め、調べたい物がある場所に100m以内の誤差で着陸することをめざしたのです。これについてJAXAは1月25日、目標から東に約55mの地点に着陸できたことを明らかにしました。日本の宇宙開発は新たなステージに入ったことになります。
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