おしえてピグマはかせ
「ピグマキッズくらぶ」のテキストでおなじみのピグマはかせが、皆さんがふだん疑問に思っていることにお答えします。今回はおすしのお話です。日本人は昔からおすしが大好きです。海外でも「SUSHI」として定着し、すし店は大人気です。おすしはいつごろ生まれ、どのように広まっていったのでしょうか。
おすしはいつから食べるようになったの?
江戸のすしはファストフードだった!?
昨日、回転ずしに行ったんだ。食べたいものがいっぱいあって食べ過ぎちゃったよ。 | |||
わたしも昨日はおすし。お母さんが出掛けた帰りに買ってきてくれたんだ。 | |||
みんなおすしが大好きだよね。わたしが子どものころはおすしなんてごちそうだったけど、今は気軽に食べられるようになったよね。 | |||
おすしってずっと昔からあるの? | |||
げんちゃんとさやかちゃんが食べたのは、小さな俵型のご飯の上にお刺身などの具を乗せた「握りずし」だよね。「握りずし」に近いものを食べるようになったのは江戸時代後期、19世紀の前半といわれているよ。江戸(今の東京)の屋台で、江戸前(東京湾)でとれる魚介類を使ったおすしを出すようになったんだ。それまでのおすしと違って、握ってすぐに食べられるから大人気になったそうだよ。 | |||
江戸時代のファストフードだね。でも、おすしって昔は握って食べるものじゃなかったの? | |||
そうなんだ。江戸や大阪などにはおすし屋さんもあったけど、「握りずし」が登場する前は、酢を混ぜたご飯の上に魚介類を乗せて、ふたをして重しを置き、数時間おいてから食べるものだったんだ。これを「早ずし」というよ。このタイプのおすしは、今も「押しずし」として食べられているよ。 | |||
数時間待たないと食べられないのに、「早ずし」って言うなんて変なの。 | |||
これだって当時としては早かったんだよ。「早ずし」が誕生したのは江戸時代中期、18世紀の前半ごろ。「早ずし」はそれまでにあったものとはまったく違うんだ。酢を使っているからね。酢が広く使われるようになってきたから、「早ずし」が作られるようになったんだ。 |
東南アジアの魚の保存食から発展
もっと昔は酢を使わないおすしがあったの? | |||
そうなんだ。おすしはもともと、東南アジアの人々が魚や肉を保存するために編み出した「なれずし」に由来するといわれているよ。これは、塩とご飯と一緒に魚を何か月も漬け込んで、ご飯を「発酵」させることで保存が利くようにしたものだよ。「なれずし」は中国を経由して稲作と共に日本に伝わったのではないかといわれ、奈良時代より前にはすでにあったことが古い書物に出ているんだ。 | |||
「発酵」ってどういうこと? | |||
乳酸菌やこうじ菌などの微生物が食品を分解して、その食品に良い変化を与えることだよ。醤油や味噌は発酵を利用して作られるし、ヨーグルトや納豆、漬物なども発酵食品だよ。滋賀県の名産「鮒ずし」はこの「なれずし」に近いものだね。魚と一緒に漬けたご飯は発酵させるためのもので、普通は取り除いて魚だけを食べるんだ。 | |||
「発酵」ってどういうこと? | |||
乳酸菌やこうじ菌などの微生物が食品を分解して、その食品に良い変化を与えることだよ。醤油や味噌は発酵を利用して作られるし、ヨーグルトや納豆、漬物なども発酵食品だよ。滋賀県の名産「鮒ずし」はこの「なれずし」に近いものだね。魚と一緒に漬けたご飯は発酵させるためのもので、普通は取り除いて魚だけを食べるんだ。 | |||
じゃあご飯は食べないんだ。ぼくたちが食べるおすしとは全然違うね。 | |||
どちらかというと漬物に近いかもね。室町時代になると発酵期間を短くしたものが作られるようになって、ご飯も食べるようになったんだ。塩漬けした魚とご飯を桶に入れ、ふたをして重しを置き、数日後のまだ発酵していないうちに食べるんだ。これを「生なれずし」というよ。似たものは和歌山県の「サバのなれずし」や秋田県の「ハタハタずし」などで、今でも郷土料理として食べられているよ。「生なれずし」によって、魚の保存食だったものがごはん料理に進化したんだ。その後、江戸時代に、酢を使って酸味が出せるようになり、「早ずし」が誕生したというわけなんだ。 | |||
「なれずし」が「生なれずし」になって、それから酢を使った「早ずし」ができて、そこから「握りずし」が生まれたってことだね。おすしってすごく歴史がある食べ物なんだね。 | |||
ご飯に重しをして酢の味をなじませる「早ずし」は、地域でとれる魚や野菜などを使って家庭でも作られるようになり、郷土料理として今もいろいろなおすしが食べられているよ。江戸前の「握りずし」も、もともとは東京だけで作られていたんだ。最初は使う魚の種類も少なく、醤油や酢で下処理したものが中心だった。時代が進んで冷蔵技術や魚の流通が進歩してきたので、生の刺身も扱えるようになって種類も増えていったんだね。もともと江戸でしか食べられなかったものが全国に広まったのも、冷凍技術の向上や交通網の発達のおかげだよ。 |
●握りずしが生まれるまで
保護者の方へ
総務省の調査によると、人口10万人当たりの寿司店の数が全国でいちばん多いのは山梨県。海がないのになぜでしょう。山梨県には江戸時代から寿司店が多くあり、駿河湾から陸路で魚介類を運んでいました。馬に背負わせて運べば一晩で届き、生魚を腐らずに持ち込めるぎりぎりの距離にあったのです。それでも鮮度は落ちるので、魚を酢で締めたり、醤油漬けにしたりしていました。これに、江戸幕府から城下町の甲府に派遣された武士たちがお寿司を所望した事情も絡んで、寿司店が発達したのだろうといわれています。寿司文化の広がりの一端がうかがえます。
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