さぴあインタビュー/全国版
見て、触れて、考える
体験重視の幅広い学びを通して
豊かな人間性と高い倫理観を養う
東邦大学付属東邦中学校・高等学校 校長 松本 琢司 先生
女性に教養と科学的知識を
ルーツは女子医学専門学校
サピックス
教育情報センター所長
神田 正樹
神田 東邦大学は2年後の2025年に創立100周年を迎えますね。初めに、沿革からお聞かせください。
松本 東邦大学の歴史は、1925(大正14)年に額田豊博士、額田晉博士の兄弟が創立した帝国女子医学専門学校に始まります。女子の医学専門学校をつくったきっかけは、豊博士のドイツ留学でした。豊博士は、ドイツの一般女性が教養と科学的知識を持って男性と対等に話をしていることに非常に驚いたそうです。それが日本の女子教育、特に科学教育の必要性を痛感したきっかけにもなりました。もう一つ、額田兄弟は幼いころに父親を亡くし、お母さまが2人を一生懸命に育てました。その恩に報いることも女子の学校を創立した動機になっています。「母は満足に教育を受けられなかったけれど、日本の女性にはぜひ教育を受けてほしい」という思いがあったようです。戦後は特に中等教育に強い関心を持ち、1952(昭和27)年に高校を、1961年に中学校を設立しました。当初は男女別学で、男子部と女子部に分かれていましたが、1970年に完全共学化しています。
神田 設立初年度の入学者数は30名にも満たないくらいでしたが、8年後の1960年には750名にもなったそうですね。地域の大きな期待を背負った学校だったことがうかがえます。
また、東邦大学の前身である帝国女子医学専門学校が誕生する前のことですが、大隈重信も周囲から早稲田に医学部を設けるよう言われたと聞いています。しかし、医学部は資金がかかり過ぎて断念したとか。そうした時代にあって、額田先生たちは最初から医学教育をめざしていらっしゃいます。大変な努力をされたのではないでしょうか。
松本 医学教育には相当に腐心していたようです。額田兄弟は同じ時期に日本大学の医学部の前身である専門部医学科の創設にもかかわっています。そのような理由で、東邦大学は帝国女子医専からスタートしていますが、大学全体としては生命科学といいますか、命をつなぐ自然科学という共通性を持って、医学部のほかに薬学部・理学部・看護学部・健康科学部がタッグを組んでまい進しています。
◎学校関連リンク◎
◎人気コンテンツ◎