受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

和田先生が語る灘校の真価

Vol.8

教員チームが一丸となって
思春期の生徒たちを見守っていく

 灘校の教育の根幹を成す制度ともいえるのが、さまざまな教科を担当する教員がチームを組んで、入学時期を同じくする生徒たちを6年間継続して指導する「担任持ち上がり制」です。一人の生徒の学習や生活指導に多くの教員がかかわり、絆を深めながら見守っていけば、その自主性を尊重しながらも、思春期の悩みなどにも自然に対応することができるのです。和田先生のお話からは、自主自律を重んじる自由な校風というイメージが強い灘校の「面倒見の良さ」という一面が浮かび上がってきます。

文責=和田 孫博

中高一貫校にしかできない
6年間を貫く教育のしくみ

和田 孫博

わだ まごひろ
灘中学校・灘高等学校前校長。兵庫県私立中学高等学校連合会副理事長。1952年生まれ。京都大学文学部文学科(英語英文学専攻)卒業後、1976年に母校の灘中学校・灘高等学校の英語科教諭に。2007年4月から2022年3月まで同校校長を務める。著書に『未来への授業』(新星出版社)、共著に『「開成×灘式」思春期男子を伸ばすコツ』(中公新書ラクレ)などがある。

 ある学年の生徒たちが中1から高3までの6年間、さまざまな教科を担当する教員がチームを組んで見守っていくのが、灘校の教育の特色である「担任持ち上がり制」です。これには教科指導の面で多くのメリットがあることを前回お話ししました。

 しかし、この制度の長所はそれだけではありません。生徒の人間的な成長にも大きな影響を与えているのです。「むしろ教科指導面より生徒指導面にこそ大きなメリットがある」と、わたし個人は感じています。

 小学校を卒業して灘校に入学してきたばかりの生徒たちは、まだ身長も伸び切っておらず、見た目にも精神的にも「子ども」の域を脱していません。それが6年後には、見違えるような一人前の姿になって卒業していきます。中高一貫校は、人間としての大きな成長と変化の時代を共に過ごす場なのです。

 ですから、友だち同士の絆が強くなることは言うまでもありませんが、生徒と教員との関係性も、友だち同士に劣らず深いものになります。それが担任団ともなると、授業だけでも1日数時間、クラブ活動や委員会などまで含めれば、もっと長い時間を共に過ごします。場合によっては、家族と過ごす時間より長いかもしれません。すると、生徒と教員との間には、まるで親子のような、あるいは年齢の近い教員なら兄弟のような「疑似家族関係」ともいうべき絆が構築されていきます。

7~8人の個性ある教員チームが
一人ひとりの成長や変化に気づく

2人いる専任のネイティブ教師も、担任団に入り生徒たちの生活を見守っています

 中高時代は思春期の真っただ中。生徒たちはさまざまな悩みを抱えています。特に中学の終わりから高校の最初のあたりは、心身ともに不安定になる生徒も少なくありません。彼らを導いていくうえで、個性も担当教科もバラエティーに富んだ7~8人の担任団がチームとしてかかわっていく環境があることは、思いのほか重要です。

 悩みを抱えた生徒が、教員に何か相談したいと思っても、クラス担任が1人しかいなければ、その先生とウマが合わない場合には、話しかけにくいということもあるでしょう。また、自分が得意な教科の先生とはフランクに話せても、苦手な教科の先生に対しては、どことなくよそよそしさを感じてしまうこともあります。その点、担任団にはいろいろな教員がいますから、相談相手の選択肢も広がります。

 悩みの表れ方は人それぞれで、自分から相談してくれる生徒ばかりではありません。勉強が手につかなくなる生徒もいれば、座学はそつなくこなしていても、体育や美術のような実技の時間に元気がなくなり、「心ここにあらず」という状態になる生徒もいます。

 特定の教科での態度、特定の学年での様子しか知らない教員が見れば、「何の問題もない」「これがこの生徒の個性なのだろう」と思って見過ごしてしまうようなことでも、入学時から見続けている教員が複数いれば、「最近ちょっとおかしいな」と気づきやすくなります。すると、担任団のなかで自然に話題にのぼり、ちょっと声を掛けてみたり、それとなく様子をうかがったり、タイミングよく相談に乗ったりすることができるのです。

 担任団は、生徒たちを見守る一つのチームです。職員室でもデスクが近いので、椅子をくるっと回すだけで、いつでも学年会議を開くことができます。生徒の異変に気づく教員が1人でもいれば、すぐにチームで共有でき、問題があると思えばすばやく対応できるのです。

 学年主任というリーダーの下、担任団というチームがしっかり機能することで、学年行事の企画や運営も非常にスムーズに進むので、学年全体の団結も強くなります。これは学校全体の運営にも好影響をもたらします。

 わたしが校長を務めていた間も、各学年の担任団には大きな信頼を寄せていました。もちろん、要所要所でコミュニケーションをとることは大事です。わたしの場合は、たとえば、事務室に届いた郵便物を抱えて職員室で配り歩くのを日課にして、各学年の担任団の先生方と雑談を交わす機会をつくっていました。

 家庭のなかでも同じでしょうが、面談のようなかしこまった場で、居ずまいを正して話す場があるだけでは、なかなか本音が出せず、人間関係も深まりません。灘校の場合は、学年担任団という制度が土台となって、生徒同士、生徒と教員、あるいは学年間の自然なコミュニケーションが形づくられているように思います。

自主自律を大事にしながら
生徒と教員が共に学び合う環境

 卒業した後も、教員との強いつながりは続きます。わたしが灘校の教員になった最初の年、初めて担任団の一員となって担当した学年の生徒たちとは、今も連絡を取り合っていて、同窓会にはわたしも必ず参加させてもらっています。先日、ついに還暦同窓会が開かれて、深い感慨を覚えました。わたしは彼らと11歳しか違いません。本当に兄弟のように6年間を共に過ごし、わたし自身も教員として多くのことを学び、成長させてもらったと思っています。

 灘校は、「校則もなく、制服もなく、自由放任な学校だ」というイメージを持たれている方も少なくないかもしれません。もちろん、自主自律を大切にしていることは事実ですし、手取り足取り世話を焼くわけではありません。しかし、こうして教育の特色を語っていくと、灘校らしいやり方で「面倒見の良さ」を実現していることがわかっていただけるのではないでしょうか。

 このように、創立以来の伝統を守ってきた灘校ですが、長い歴史のなかでは大きな変化やピンチもありました。なかでも、外すことのできない大きな出来事が阪神・淡路大震災です。

 1995(平成7)年1月17日の未明、瀬戸内海に浮かぶ淡路島北部を震源として発生した大地震は、灘校が立地する神戸市東灘区でも震度7の大きな揺れをもたらしました。大変な体験でしたが、灘校という学校の歴史においても、教員としてのわたしにとっても、大きな転機になりました。この経験については、次回紹介したいと思います。

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