受験ライフをサポートする 進学情報誌 さぴあ

さぴあは、進学教室サピックス小学部が発行し、内部生に配布している月刊誌です。

挑戦するキミへ

Vol.24

オンライン化が進む時代に考える
学校が持つ役割と、学校に通う意義

 近年、特定のキャンパスを持たない学校、あるいはキャンパスはあるものの、オンライン授業による教育をメインに行う通信制の学校が、世間の注目を集めています。人と顔を合わせずに教育を受けられる時代に、学校に通う意義とは何なのでしょうか。柳沢先生は「知識の養成」と「社会性の養成」を挙げ、とりわけ社会性を身につけることの重要性を説きます。学校の持つ役割をあらためて見直し、新しい教育の在り方を考えます。

文責=柳沢 幸雄

拡大するオンライン教育に
社会性の養成は担えるか

柳沢 幸雄

やなぎさわ ゆきお●北鎌倉女子学園学園長。東京大学名誉教授。1947年生まれ。東京大学大学院工学系研究科化学工学専攻博士課程修了。ハーバード大学大学院准教授・併任教授などを経て、2011年4月から2020年3月まで開成中学校・高等学校校長を務める。2020年4月から現職。

 「好きなときに、好きな場所で、勉強ができる」「空いた時間を使って、自分のやりたいことに打ち込める」──そんなメリットから、近年入学者を増やしているのが、オンライン授業をメインに行う通信制の学校です。さらに海外では、ミネルバ大学のように、特定のキャンパスを持たず、オンライン講義を中心に教育を展開する新しいスタイルの大学も登場しています。世の中のニーズが多様化するなか、こうした教育のオンライン化は今後ますます拡大していくと予想されます。

 若者にとって、学びの選択肢が広がるのは非常に喜ばしいことですが、わたしが心配なのは、「対人関係を学ぶべき年齢のときに、その機会が失われてしまうのではないか」という点です。

 わたしは、学校が持つ役割は二つあると考えています。一つは「知識の養成」、そしてもう一つは「社会性の養成」です。そのうちの知識の養成については、オンラインでもある程度の成果を出せることがわかってきました。特に検定試験や資格試験のための勉強などとは親和性が高いようです。しかし、社会性の養成についてはどうでしょう。皆さんも経験があるかもしれませんが、オンライン上のやりとりだけでは、相手がどういう人となりなのか、何を考えているのか、どういう距離感で接したらいいのかなどが、うまくつかめません。人と人との信頼関係とは、顔を合わせて初めて築かれるものです。その役割をオンライン教育が担えるとは、とうてい思えないのです。

学校は人間関係の濃淡を学ぶ場
“みんなと仲良く”する必要はない

 なぜ、わたしが学校の持つ社会性の養成という役割を重視しているかというと、社会に出たら、人と顔を合わせずに生きていくのはほぼ不可能だからです。仕事をするにしても、ほとんどの職業はチームで動くことが求められます。そのときになって、「人の気持ちがわかりません」「相手との適切な距離が測れません」では、本人も周囲も困ってしまいます。

 かくいうわたしも、人見知りの性格で、人づきあいが得意なタイプではありません。初対面の人と話すときにはいつも緊張しますし、相手のことをよく調べ、事前に話題をいくつか用意してからでないと、安心して会話に臨めないのです。しかし、そうした自身の“傾向と対策”も、若いころに、時には失敗しながら、試行錯誤して人づきあいをしてきたからわかることです。学校とは、そうした対人関係のテクニックを体当たりで学ぶ場でもあるのです。

 日本人は、幼いころから「みんなと仲良くしましょう」と言われて育つせいか、それができないことに劣等感を持ったり、集団生活に苦手意識を感じたりする子どもが少なくありません。しかし、わたしたち大人だって、“みんなと仲良く”はできません。会った瞬間に肩を抱き合う友人から、軽く会釈をするだけの友人まで、その親密度には濃淡があって当然なのです。

 人間は千差万別であり、とても気の合う人もいれば、そうでもない人もいます。それが自然なことなのだと、学校という場を通して受け入れてほしいと思います。

求められる従来の教育からの脱却
まずは「自分基準」で行動しよう

 わたしが考えるもう一つの学校の役割は、異なる個性が一つの場所に集まり、切磋琢磨することで、それまで誰も想像しなかったようなケミストリー(化学反応)が生まれるところです。高校野球で活躍した佐々木麟太郎選手が進学するスタンフォード大学などは、まさにその好例といえるでしょう。学業・芸術・スポーツなど、それぞれの分野において秀でた才能を持つ者が一か所に集まり、共に学校生活を送ると、異なるバックグラウンドや価値観が刺激となって、学生全体のクリエイティビティーが向上するのです。

 このように、異質なものをどんどん受け入れようとするマインドは、日本が長らく苦手としてきました。「出るくいは打たれる」ということわざにも表れているとおり、昔から「目立たないこと」「人と同じであること」が美徳とされてきたからです。それが行きすぎた結果、見えない同調圧力が子どもたちを学校嫌いにさせているのではないでしょうか。そして、その風潮が組織の同質化を加速させ、国内経済の閉塞感を生んでいるのではないでしょうか。もしそうだとしたら、「人と同じであること」を是とする従来の教育から、脱却すべき転換点に来ていると思います。

 そのために、わたしたちにできることは、「自分基準」で行動することです。自分がしてもらってうれしかったことは他人にも積極的に行い、されて嫌だったことはしない。そして、自分が正しいと思うことは、他人にどう思われてもいいという覚悟でやり抜く。これを実践できれば、“出るくい”はさらに磨かれていくはずです。

 近ごろ、国内大学の入試制度も、総合型選抜や学校推薦型選抜の定員数を拡大し、ペーパーテストだけでは測れない子どもの個性を評価しようという方向にかじを切っています。これは、従来の教育を変える第一歩です。今後ますます、生まれ持った個性や、異質性が評価される時代がやってくれば、これからの子どもたちはもっと輝けると思っています。

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